大量の文字を扱う作品を見て
「浸食されていくような」印象を受けたことから、そういった表現を自分でもできないか、、という単純な気持ちが発端になって卒業制作に取り組んでいます。
この浸食のイメージは、まず
情報としての「文字」が大量にあることで頭の中でたくさんの音がなる(あらゆる方向から声の発生を感じる)ようなちょっとした混乱のようなものと、小さな文字たちを自分のなかでうごめく
無数の生物が空間を埋め尽くしていく様子に見立ててしまっているという、ものすごく主観的なものです。
まず、先にあげた、頭の中でたくさんの音がなるという印象に関して、、ですが、
ここではその、「うるささ」とは逆の「静か」だと評される作品をひとつあげます。
山城隆一「森・林」1955年発表
植林運動のための試作ポスター。
・写植によるもののため、文字のエッジがぼけていたり少しがたがたしているために自然な風合いがでている
・細い書体を使用、密集しているところとそうでないところとで風通しが良い
・「木」という象形文字(画数が少なく単純)がふたつで「林」、三つで「森」というイメージの伝わりやすさ。
「情念的なメッセージ」を伝えない象形文字
次にTishan HSU(ティシャン・スゥ)の作品について
ティシャン・スゥ「セル構造機械」1989年発表
以下Inter Communication1992年秋号より抜粋
1951年にボストンで生まれたティシャン・スゥは、はじめ伝統的なリアリズムの絵画を学んでいたが、しだいに抽象絵画、ミニマリズムの影響を受けつつ、特異なスタイルを確立するようになる。生体と工学との関係を絵画の次元で展開したスゥの個性は、とりわけ平面作品において発揮されているが、その魅力をひとことで言い表すことはむずかしい。スゥの作品を特徴づけているのは、その表面でいまにも開かんとしているいくつもの穴である。それはわれわれの皮膚の表面を浸食していく病巣のように見えるのだが、このとき彼は、絵画という「平面空間」を一種の被膜として把握し、それが浸食される様を提示することによって絵画空間の完結性そのものを浸食しているのである。被膜のあるところ-それは内と外との間に絶え間ない情報交換がなされる戦場であることを想起しよう。ティシャン・スゥは、絵画を一種の生体として把握することによって、いわばそれを内部と外部からなる遠近法的空間に設置しているのである。-
・平面の完結性を浸食すること
・増殖の予感